長年お世話になった研究室を離れ、別の大学へ行くことになりました。
この部屋で更新するのもこれが最後です。
苦しいことも、楽しいこともたくさんありました。
次のステップへ羽ばたこうと思います。
2011年3月31日木曜日
CM7.0.0-RC3日本語フォントROM(DesireのカスタムROM)
ここ数ヶ月LeeDrOiDでしたが、バージョンアップが止まり、よく言えば枯れ、悪くいえば代わり映えしなかったので心機一転CyanogenModに乗り換えました。
いつものようにCyanogenMod-7の日本語・絵文字フォント同梱ROMを公開しておきます。
利用は自己責任でお願いします。
http://rapidshare.com/files/455178612/update-cm-7.0.0-RC3-Desire-signed-Japanesefont.zip
いつものようにCyanogenMod-7の日本語・絵文字フォント同梱ROMを公開しておきます。
利用は自己責任でお願いします。
http://rapidshare.com/files/455178612/update-cm-7.0.0-RC3-Desire-signed-Japanesefont.zip
お久しぶりです。震災そのとき携帯・PHSは。
Twitterではちょくちょくつぶやいていましたが、日記の更新はすっかりご無沙汰になってしまいました。
その間に日本では東北関東大震災や原発事故など様々なことがありました。
私は東京にいたのですが、大変長い強い揺れに驚きました。
地面がうねり、ビルは歪み、空気がたわみました。
みんな大騒ぎとなり、建物から離れ口々に地震が酷かったか語りました。
私はとりあえず、持っていたDesire(ソフトバンクのスマートホン)でつぶやいていました。
地震直後はネットワークに接続できたもののしばらくすると混雑しだしたのか大変緩慢になりました。
通話はNG。繋がらないのではなく、そもそも通話操作ができないようになりました。おそらく通信専用SIMを差し込んだのと同じ状態です。
通話不能状態は結局その日はずっと続き、解除された後もなかなか繋がりませんでした。
一方WILLCOMは大変繋がりやすかったです。
マイクロセル方式のPHSはもともと輻輳に強いため、こういうときのようにみんなが一斉に通話をしようとしてもそれに耐えられるのです。
私の家族は全員WILLCOMを持っていたため、病院にいた父を除いて地震直後から一発で繋がり、お互いの無事を確認できました。(父も病院を出た後すぐ連絡がつきました)
中越地震でもWILLCOMは強かったと聞きましたが、東北関東大震災でもそのポテンシャルを発揮しました。
WILLCOMはもっとこのことを宣伝するべきです。
情報収集では、ネットと既存メディアの長短が見えました。
外にいるときはネットは携帯で行うわけですが、輻輳でなかなか繋がりにくくやきもきしました。
その一方ワンセグやラジオはすぐに情報を得ることが出来、津波情報や地震の規模を知ることが出来ました。
電波を一方的に流すメディアというのは、こういうときに強いのだと実感しました。
携帯が威力を発揮しだしたのは地震直後の輻輳が収まってからでした。
Twitterのようなソーシャルメディアで、安否確認や、帰宅難民支援の情報など既存メディアではカバーしきれない情報が流れ出したのです。
翌日以降も報道されない被害状況をいち早く拡散するなどソーシャルメディアは大いに活用されました。
そのためずいぶん助かった人もいたでしょう。
私は下宿が東京だったので帰宅難民とならずにすみましたが、週明けからの電車の乱れで大学院の入学手続き書類を提出しにいけず焦りました。
刻一刻と変わる運行情報をスマートホンで収集していました。
特別に郵送で受け付けてもらえることになり、無事受理されました。
とにかくこういうときは複数の情報収集手段を持ち歩いてると強いのだなと感じました。
その間に日本では東北関東大震災や原発事故など様々なことがありました。
私は東京にいたのですが、大変長い強い揺れに驚きました。
地面がうねり、ビルは歪み、空気がたわみました。
みんな大騒ぎとなり、建物から離れ口々に地震が酷かったか語りました。
私はとりあえず、持っていたDesire(ソフトバンクのスマートホン)でつぶやいていました。
地震直後はネットワークに接続できたもののしばらくすると混雑しだしたのか大変緩慢になりました。
通話はNG。繋がらないのではなく、そもそも通話操作ができないようになりました。おそらく通信専用SIMを差し込んだのと同じ状態です。
通話不能状態は結局その日はずっと続き、解除された後もなかなか繋がりませんでした。
一方WILLCOMは大変繋がりやすかったです。
マイクロセル方式のPHSはもともと輻輳に強いため、こういうときのようにみんなが一斉に通話をしようとしてもそれに耐えられるのです。
私の家族は全員WILLCOMを持っていたため、病院にいた父を除いて地震直後から一発で繋がり、お互いの無事を確認できました。(父も病院を出た後すぐ連絡がつきました)
中越地震でもWILLCOMは強かったと聞きましたが、東北関東大震災でもそのポテンシャルを発揮しました。
WILLCOMはもっとこのことを宣伝するべきです。
情報収集では、ネットと既存メディアの長短が見えました。
外にいるときはネットは携帯で行うわけですが、輻輳でなかなか繋がりにくくやきもきしました。
その一方ワンセグやラジオはすぐに情報を得ることが出来、津波情報や地震の規模を知ることが出来ました。
電波を一方的に流すメディアというのは、こういうときに強いのだと実感しました。
携帯が威力を発揮しだしたのは地震直後の輻輳が収まってからでした。
Twitterのようなソーシャルメディアで、安否確認や、帰宅難民支援の情報など既存メディアではカバーしきれない情報が流れ出したのです。
翌日以降も報道されない被害状況をいち早く拡散するなどソーシャルメディアは大いに活用されました。
そのためずいぶん助かった人もいたでしょう。
私は下宿が東京だったので帰宅難民とならずにすみましたが、週明けからの電車の乱れで大学院の入学手続き書類を提出しにいけず焦りました。
刻一刻と変わる運行情報をスマートホンで収集していました。
特別に郵送で受け付けてもらえることになり、無事受理されました。
とにかくこういうときは複数の情報収集手段を持ち歩いてると強いのだなと感じました。
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